誰かと話す機会が少なくなった
人と話す機会が減ると人との会話の仕方が解らなくなってくる
どの程度まで話して良いのか
どんな話し方をすれば良いのか
解らなくて、正しい言葉選びが出来なくて、話せなくて、急かされて、
痛いところを突かれて、地雷を踏まれて、感情的になってしまって、その都度自己嫌悪に陥って
元々人と話すのは苦手なんだ、そんなの言い訳だけど
1週間も会わないと親でさえどんな話し方をすればいいか一瞬忘れてしまう
最近は本当に駄目だ、すぐに感情的になってしまう
鬱屈とした感情が渦巻いて、頭部を丸ごと仄暗い靄に包まれたような息苦しさを感じる
そういや昔もこんな気分の事があったなぁとか思い出した
その時も1日の内に何度も無意味な更新をしていた
文章を書くこと、感情を文章化すること、正直苦手分野だ
誰か知ってる人に見せる文章だとどうしても「良い子が書く文章」じゃなきゃいけないと思っていた
俗に言う「明るくて前向き」な文章を書かなければならないと思っていた
今はこんなでも昔はちゃんと「良い子」だったからね
そう言う感情は一番苦手だ
特に誰かに強制されて書かされる「自分の気持ち」なんて、倫理観に反する事を書いたらその事を親に言われるんだろうな、とか、
連絡帳に毎日書かされていた一言文とか提出したら担任が勝手にコピーしてクラス全員に配るプリントに無断で貼って晒されるのが恐くて毎回「これをプリントに載せないでください」って書いてたし、毎日書いてるから書かなくても解るだろうなって思ってその一文を書かなかった日はしれっと載せられてるし、名前は書いてないから誰の言葉かなんか解らないとか言われても、私の字はクッソ下手で誰が見ても一目で解るレベルで特定される字だったから自分の思考を他人に曝されるのが何よりも苦痛だったから本当に自分の本心なんか目に見える形で書きたくないって気持ちが強くなったのは間違いなくそれが原因だと思う
良い文章はプリントに載る=プリントに載らない文章は何かがいけない文章、って幼心に理解していた
あの行動は「誰もが称賛される対象である」と言うと同時に、言外で「載らない文章は称賛に値しない」と言っていた
否定されるのが何よりも嫌いだから先回りして「載せるな」って言って、
でも毎日提出しなきゃいけないからせめて「良い子」である文書を毎日考えて、それが何よりも苦痛だった
だからその頃から文章を書く事は嫌いだったんだと思う
自分の考えを否定されるのが、笑われるのが、誰かにバレるのが嫌だった
読書感想文もそう、感想とか自分の感情に由来する言葉を作るのが苦痛だった
課題図書を読む時も感想文を書くことを考えながら読むと内容が全く頭に入らなかった
何も考えずに読んでも自分に残るものは何もなかった、何の参考にも体験にもならなかった
課題図書は何冊かの中から選べるけど強制される読書ほど無意味なものは無いと思っていた
でもまぁ昔から本を読むこと自体は好きだったし、ストーリーを考える事も好きだった
小さい頃から本は読みまくってたから文章の読解力だけは付いた
最初の国語のテストでは解き方が解らなかったけど、6歳上の姉に「そんなの文章に書いてあることそのまま書けばいいんだよ」って教えてくれてからクラスで1番取れたりしたっけ
長文読解問題は問題文に答えが書いてあるって知ってからはすんなり解けるようになった
しかしその性格に反して文章を作る能力が著しく欠如していたことはかなりの悲劇と言える
誰かに読まれる事を想定して文章を書くのが苦手なのは、他者の視線を意識しすぎているのだろうなって今なら思う
現に、今書いているような誰に宛てる訳でもない独白に近い文章ならば書ける事に最近気付いた
自分の思想をどれだけ吐露しようと、誰も私を知らない、会った事もない何処かの誰かの独り言に過ぎない
そういう気楽さがここにはあるんだろうな
だから私はかれこれ10年も飽きもせずに黒歴史を紡ぎ続けているんだと思う
でもやっぱり文章を書いている内に書こうとした内容が消えるのは治っていない
故に支離滅裂な文章になりがち
出発点から着地点を想定してから文章を書かないといけないのに突発的に文章を書こうとするからすぐ話が脱線する
私の場合、人と話している時もそうなんだけど、考えてから喋ろうと思ってるのに話し始めたら事前に考えていた事が吹っ飛んで頭真っ白になって考えずに喋ってる
一つの話題があったとき、それに付随する知識やら経験やら感情やらが樹状に広がって収拾つかなくなる
んで、どれを選択すれば良いかの基準が解らなくて話してる最中に自分で「???」ってなる、アホかよ
今日もこんなに文章を書いているけど8割くらいはどうでもいい話だし、今日も何度も脱線したから最初に何書こうと思っていたのか今ではもう思い出せない
記事を書く時、いつもタイトルを最初に書いてるけど、タイトルに触れた内容を書いてない日は大体話が脱線したか自分が何を書こうと思ったか忘れてしまった日、これまでに何度もある
他人と話さないとしても、人間はどこかしらで感情やらのアウトプットは必要らしい
恐らく私の場合ここがその場所
貝塚ならぬ言塚とでも言っておこう
あ、言塚って良いかもしれない


















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